こんにちは!Ychanです。実は私は日本のクラブではRB大宮アルディージャを応援しているのですが、昨日RB大宮アルディージャ所属の市原吏音選手がAZ Alkmaarに移籍することが発表されました。市原選手のコメント・お別れ動画を見て、本当に久しぶりに泣きそうになりました。。RB大宮アルディージャの誇りとして、ワールドカップのピッチに立っている姿を楽しみにこれからもずっと応援したいと思います!(いつかスパーズに来てくれると嬉しいな。。!)そこで移籍先のAZ Alkmaarについても、今後試合をたくさん見ることになると思うので、AZの歴史を勉強してみました。RB大宮アルディージャサポーターには是非読んで欲しい。
はじめに:オランダフットボールの革命
オランダのフットボールと聞いて、あなたの脳裏に浮かぶのはどの色だろうか?
アヤックスの白と赤か、PSVの赤と白の縞模様か、それともフェイエノールトの赤と白のハーフ&ハーフか。
確かに、彼ら「伝統のビッグ3」は偉大だ。歴史の教科書は彼らの功績で埋め尽くされている。だが、歴史の教科書には載らない、しかし人々の記憶に深く刻まれる「革命」があることを、あなたは知っているだろうか。
アムステルダムから北へ約40キロ。運河とチーズ市場で知られる美しい街、アルクマール。
人口わずか11万人ほどのこの街に、巨人の足をすくい、王座を転覆させることに至上の喜びを見出す「赤き反逆者たち」がいる。
その名は、AZ(アーゼット)。
これは、資金力で劣る地方クラブがいかにして欧州の頂点へ手をかけたか、そしてスタジアム崩落という絶望からどう立ち直ったかを描く、愛と再生の物語だ。もしあなたが、判官贔屓を自認するなら、あるいは「賢い弱者が強者を倒す」展開に胸を熱くするタイプなら、この先を読まない手はない。
1. 【歴史の物語】荒野の合併から、欧州の頂へ
労働者の汗と、富豪の夢
時計の針を1967年に戻そう。当時のオランダサッカー界は、今とは全く違う様相を呈していた。アルクマールという街には、プロクラブとしての成功を夢見る二つの小さな存在があった。「アルクマール’54」と「FCザーンストレーク」だ。
彼らは気づいていた。別々に戦っていては、永遠に「その他大勢」で終わることに。
合併によって生まれた「AZ’67(後のAZ)」の背中を押したのは、地元の電気店チェーン「Wastora」を経営するモレナール兄弟だった。彼らは単なるパトロンではない。心の底から「アルクマールから世界へ」という夢を信じたロマンチストだったのだ。彼らの資金援助は、労働者の街のクラブに魔法をかけた。
1981年、奇跡の戴冠
そして訪れた1980-81シーズン。この年は、AZファンにとっての「創世記」として語り継がれている。
オランダリーグにおいて、アヤックス、PSV、フェイエノールト以外のチームが優勝することは、天変地異に等しい。だが、彼らはそれを成し遂げた。それも、圧倒的な攻撃力で。
リーグ優勝、KNVBカップ優勝、そしてUEFAカップ(現EL)決勝進出。
欧州の舞台でイプスウィッチ・タウンに敗れはしたが、この「三冠に手をかけた地方クラブ」の衝撃は、オランダ全土を震撼させた。「チーズ農家(Kaaskoppen)」と揶揄された彼らが、巨人をなぎ倒す姿は、まさに痛快そのものだった。
ファン・ハールという劇薬
しかし、栄光は長くは続かない。モレナール兄弟の退陣と共にチームは低迷し、2部リーグという煉獄を味わうことになる。
だが、AZは不死鳥のように蘇る。2000年代中盤、一人の「将軍」がやってきたからだ。ルイス・ファン・ハールである。
規律、戦術、そして若手への揺るぎない信頼。ファン・ハールはAZに「勝者のメンタリティ」を植え付けた。2008-09シーズン、開幕連敗スタートという最悪の船出から、彼らは怒涛の快進撃を見せる。ムサ・デンベレのドリブルが相手を切り裂き、ムニル・エル・ハムダウィがゴールネットを揺らす。
28年ぶりのリーグ制覇。それは、金満クラブへのアンチテーゼであり、AZが掲げる「育成とスカウティングの勝利」を高らかに宣言するものだった。
2. 【聖地の系譜】森の記憶と、崩落を超えた未来
森の要塞「アルクマールデルハウト」
古くからのファンに「家」はどこかと尋ねれば、多くの人が懐かしそうな目でこう答えるだろう。「デ・ハウト(De Hout)だ」と。
2006年まで使用された旧スタジアム「アルクマールデルハウト」は、その名の通り森の中にあった。
それは、現代のスタジアムのような快適さとは無縁の場所だ。スタンドは木造で、観客が飛び跳ねれば床が抜けそうなほど軋み、ピッチとの距離は驚くほど近かった。
だが、それこそが武器だった。相手選手は、背中にサポーターの吐息を感じ、四方から降り注ぐ罵声と歓声のシャワーに平常心を失った。そこは、AZにとっての要塞であり、敵にとっては「森の処刑場」だったのだ。
崩れ落ちた屋根、試された絆
2006年、クラブは近代的な「AFASスタディオン」へと移転する。快適なシート、美しい芝、収容人数の増加。クラブの成長には不可欠なステップだった。
しかし、神はAZに試練を与える。2019年8月、強風によりスタジアムの屋根の一部が崩落したのだ。幸いにも試合開催日ではなく死傷者は出なかったが、その光景はあまりにもショッキングだった。自分たちの「家」が、無惨な姿を晒しているのだから。
ホームを失ったAZは、デン・ハーグでの代替開催を余儀なくされた。だが、この「放浪のシーズン」こそが、AZというクラブの底力を証明することになる。
選手たちは「帰る場所がないなら、ピッチで結果を出すしかない」とばかりに躍動し、サポーターは遠い代替地まで大挙して押し寄せ、ホーム以上の熱気を作り出した。
屋根が落ちても、俺たちの誇りは崩れない。
この逆境のシーズンを経て、修復されたスタジアムに戻った時、選手とサポーターの間には、以前よりも強固な、血の通った絆が生まれていた。
3. 【レジェンド図鑑】赤きユニフォームを纏った英雄たち
AZの歴史は、ただ上手いだけの選手によって作られたのではない。愛すべき人間臭さを持った英雄たちによって紡がれてきた。
キース・キスト(Kees Kist)――伝説のキャノンシューター
AZを語る上で、この男を避けて通ることは許されない。1970年代から80年代初頭、彼の右足は「大砲」と呼ばれた。
1978-79シーズン、彼は34ゴールを叩き出し、オランダ人として初めて「ヨーロッパ・ゴールデンシュー」を獲得した。クリスティアーノ・ロナウドやメッシが受賞するあの賞だ。地方クラブのFWが欧州一のストライカーになったという事実は、今もアルクマールの神話である。
彼は単なる点取り屋ではない。チームが苦しい時、その豪快なシュート一発でスタジアムの空気を変える、真のカリスマだった。
バリー・ファン・ハーレン(Barry van Galen)――狂気の天才
もしあなたが「優等生」よりも「悪童」に惹かれるなら、バリー・ファン・ハーレンはあなたのアイドルになるだろう。
彼は天才的なパスセンスと左足を持っていたが、同時に短気で、不要なカードをもらうことも日常茶飯事だった。しかし、その情熱こそがファンに愛された。
彼がオランダ代表デビューを果たしたのは、なんと34歳。遅咲きすぎる天才。引退試合で銅像が建てられるほど、彼はアルクマールの人々の心を掴んで離さなかった。「ピッチ上の芸術家」であり「近所の喧嘩早い兄ちゃん」。その二面性が、彼をレジェンドにした。
2009年の黄金世代と、現代の子供たち
ファン・ハール政権下で優勝した2009年のメンバーも忘れてはならない。ベルギーの至宝ムサ・デンベレの、絹のように滑らかなドリブル。ステイン・スハールスのキャプテンシー。
そして現代。トゥーン・コープマイネルス(現ユベントス)のように、AZのアカデミーで育ち、若くしてキャプテンマークを巻き、チームを鼓舞してビッグクラブへ巣立っていく選手たち。
AZのピッチは常に、若き才能が世界へ羽ばたくための滑走路であり続けている。吏音もここに続いてほしい、いや絶対に続くと確信している。
おわりに:【未来へ】まとめ——市原吏音はAZでさらに磨かれる
AZアルクマールは、アヤックスのような世界的ブランドではないかもしれない。PSVのような巨大なバックボーンもないかもしれない。
しかし、彼らには「知恵」と「勇気」、そして何よりも「フットボールを愛する純粋な心」がある。
莫大な移籍金でスターを買い集めるのではなく、自らの手で原石を磨き、戦術という武器で巨人に立ち向かう。その姿は、現代社会を生きる私たちに、ある種の勇気を与えてくれる。
スタジアムの屋根が落ちても、2部に降格しても、彼らは必ず這い上がってきた。
だからこそ、私たちはAZを見るのをやめられない。
このチームには、人生の縮図があるからだ。
もしあなたが、完成された強さよりも、成長する過程の煌めきを見たいのなら。
ようこそ、AZアルクマールの世界へ。
ここは、チーズと風車、そして世界一熱い「赤き情熱」が同居する場所だ。
市原吏音がこのオランダの地でステップアップし、主将として日本をワールドカップで優勝させる姿を我々は夢見ている。そしていつの日かオレンジとネイビーに染まる大宮でまた会おう。
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